在りのままの意味で宇宙的な永遠の自己確立道筋発見=次元上昇への道探索!!!

呼吸法・瞑想法・怒り研鑽

呼吸法・瞑想法・怒り研鑽



先ず、怒り研鑽に関して、参考文献をご紹介しましょう。


最初に、脱洗脳専門家といわれている苫米地英人氏著から取り上げてみましょう:

苫米地英人氏著「イヤな気持ちを消す技術より
(一部分を抜粋紹介)


(前略)

過去のイヤな体験の記憶に囚われることがよくないことは、いうまでもないことです。


くよくよ思い悩んでいれば、活力は削がれるし、仕事や生活のリズムも崩れます。精神状態だって、不安定になることでしょう。


悲しい体験や辛い体験の記憶は、誰にでもあります。
簡単に整理がつく類のものであればいいのですが、トラウマを抱えるほど強烈な体験の記憶を持つ人も決して少ないとはいえません。


それは、悲しい、辛い、許せないなどの、きわめて強い情動を呼び起こします。人が変わったようだといわれるのは、たいていはこうした記憶が甦ったときです。


もっとも、とても強烈なイヤな体験をして、それがトラウマになってしまう人と、わりとあっさりその体験を乗りこえてしまう人と、人間には2タイプがいることも事実です。
(中略)
イヤな記憶に囚われる人が出てきてしまいます。
(中略)
じつは(2つのタイプ)を分けているのは脳の使い方です。
(中略)
もちろん、見たこと、体験したことを脳が勝手に記憶するというのは、そのとおりです。とはいえ、問題は、脳が勝手に記憶するということではありません。


むしろ問題は、脳がどのようにしてそれを思い出しているのか、ということです。


脳が記憶を思い出すメカニズムは、私の専門である機能脳科学によって、かなり解明されています。そのメカニズムを利用して、記憶が表に出てこないようにする方法も実際に専門家が利用して成果を上げています。


とすれば、機能脳科学が明らかにした方法を学ぶことによって、悲しい体験や辛い体験の記憶も”忘れることができるようになります。もちろん、イヤな体験の強烈な記憶ですから、一瞬でただちに忘れることはできません。
(中略)

  • 独りよがりの”信念”が強い怒りを生み出す


    およそ人間が抱く苦しみは、自らの欲望が思うようにならないことから始まります。たとえば、誰かがあなたをバカにした言葉をかけてきたとしましょう。その相手がどうでもいい人間なら、あなたは気にもとめないに違いありません。しかしそれが、これまで目をかけてきた部下だったとしたらどうでしょうか。
    (中略)
    部下の豹変を目の当たりにして、あなたは気分をひどく害するでしょう。そんなことが度重なれば、心穏やかではいられなくなるに違いありません。そして、「生意気な」とか「何様のつもりなんだ」と、相手に敵意を持ち始めるでしょう。


    もしも、そんな人間関係が権力闘争にまで発展したとすれば、「あんなに目をかけてやったのに。あいつは俺を裏切った」と、心は煮えくり返り、深く傷つくはずです。


    その挙句に、「あいつのことは決して許さない」、そんな思いに囚われる」のではないでしょうか。立場が逆の場合でも、同じことが起こりえます。
    (中略)
    相手のことを許せないと思うのは、いずれのケースも「自分は相手にこれだけのことをやってきたのだから、自分の思いどおりになって当然だ」と考えているからです。
    (中略)
    あなたの頭の中には、それが正しいことであり、そうあらねばならないという”信念”がるわけです。その信念を相手に否定されることによって、「決して許せない」という強い怒りがの感情がわくわけです。


    そうした考えの根っ子には、必ず「自分は常に正しい」という認識があるはずです。


    逆に「自分が間違っているかもしれない」「相手のほうが正しいかもしれない」という考えはほとんどありません。


    しかし、冷静に考えてみてください。
    相手が必ず自分の思いに答えなくてはならないという法律が、いったいこの世界のどこにあるでしょうか。また、常に自分のほうが正しいという評価は、いったい誰が下してくれるでしょうか。
    (中略)
    ・なぜ考え違いをするのか
    (中略)
    部下に裏切られた上司、あるいは上司に切り捨てられた部下というあなたの立場は、ちょっと考えを巡らせば、簡単に立場を逆転させることができます。
    (中略)
    それは、どういう範囲の人間関係で自分を捉えるかによって変わってくるし、その人間関係を誰の視点で評価するかによっても大きく変化することです。


    あなたが考えている”思い”が、他者から見てとんでもない考え違いであることは、往々にしてあるわけです。


    なぜ考え違いをするのか。
    それは「自分は正しいのだから、自分が思っているようにならなければいけない」と考えているからです。先にふれたように、それはあなたの”信念”であり、自我そのものです。


    自分にとって、その自我が維持される状態が最も快適ですから、人間はその状態を維持しようとして考え違いが考え違いであることに、なかなか気づくことができません。


    このことは、悲しい体験や恐ろしい体験をした人にも当てはまるでしょう。「なぜ私だけがこんな目に遭わなくてはいけないのか」と、自らの不運を深く嘆き、それがトラウマになるくらいの体験なら、その思いに囚われて深く悩んだとしても不思議はありません。


    しかし、「不幸な体験をした人が隣の人と同じようにふつうに生きてきただけなのに」と考えたとしても、それは「不幸な目に遭うのはおかしい」ということにはならないはずです。


    なぜならば、災害に見舞われたり、犯罪に巻き込まれたり、そのリスクの発生は確率の問題だからです。


    過去に自分が正しく生きてきたか悪事を働いてきたかは、まったく無関係なのです。厳しい言い方かもしれませんが、「ふつうに生きてきたのに、なぜこんな目に」と考えること自体、実はナンセンスです。


    にもかかわらず、人間は「なぜ、それが私なのか」と嘆きます。嘆くだけならいいのですが、悪い場合は、その後の人生を狂わせてしまいます。


    つまるところ、「正しく生きてきた私がそんな目に遭うわけない」、その信念が、あなたが自らの力で立ち上がる邪魔をしています。
    (中略)
  • 私達の自我は、過去の記憶によって成り立っています。


    その過去の記憶によって自分の中に間違った”信念”が出来上がれば、自我は小さく歪なものになり、それが自分を苦しめることになります。
    逆に、イヤな出来事、悲しい出来事、恐ろしい出来事の記憶を”忘れる”、あるいは'「大変だったけど、いい体験をした」とプラスに評価できるようになれば、自我は大きく円満なものになり、それはあなたに前向きで囚われない思考をもたらします。'


    後者の方法をとることができれば、どんな出来事の記憶であっても、あなたにマイナスの情動を呼び覚ますことはありません。


    逆に、それはあなたがよりよく生きるためのプラスの力になってくれるはずです。




    ・クライシスサイコロジーについて
    クライシスサイコロジーとは、間単に言えば、大震災や大規模テロなどが起こったさいに、人々をその恐怖体験から解放し、それをトラウマにしないための心理学のことです。


    クライシスサイコロジーについてもう少し説明すると、イヤな出来事、悲しい出来事、恐ろしい出来事の記憶に囚われない、あるいはその記憶から開放されるために、人間が恐怖体験とどのようにつき合うかというものです。


    要するに、脳の記憶のメカニズムを知ってそれをそれをうまく処理し、イヤな記憶が呼び覚ますマイナスの情動に自分が支配されないようにするわけです。
    誤解を恐れずに言えば、それは”忘れる”ということです。


    (中略)
    みなさんにお伝えしておくべきことがあるとすれば、よりよく生きるために必要なことは「心を強くする」とか「心を鍛える」ことではない、という点です。
    (中略)
    心はそもそも、鍛えたり強くしたりできるものではありません。


    実際、心というものは存在していません。

    • 私たちが便宜的に心といっているものは、脳の情報処理の状態のことであり、科学的には現象というべきものです。現象であるものを、テクニックで強くしたり鍛えたりすることができないことは」、はっきりしています。


      まして対人交渉術や折衝術、あるいは物事の解釈術でどうにかなるものでもないのです。(中略)


      (以上、抜粋終了)




      続いて、
      中丸 薫女史著「こんな世の中だらこう生きよう」(希望の太陽、中丸薫の光のワークショップ②)より抜粋


      (前略)


      「怒り・恐れの研鑽」

  • 心のワークをしていく中で、こんなときにこうすると怒ったとか、意識化していくことが心の浄化につながっていくんです。

  • 一つの方法としては、どうしてここで怒るんだろうと、「どうして」というのを繰り返していく、自分に質問していく。

  • どうしてというと、自分がないがしろにされているからかな。ないがしろにされるとどうして怒るんですかと、どうして、どうして、どうしてを繰り返していくと、

  • 自分の存在を認めてもらえない、それに怒りを感じる。

  • 自分の存在を認めてもらえないとどうして怒るのかしらと、どんどん突き詰めていくんですよ。

  • そうすると、最終的には、自分の存在がここでなくなっちゃうのかしらと。

  • 自分の存在はなくならないんです。永遠に自分の存在というもの、命は生き続けるわけですから、そこがわかるだけでも、ああ、そんなことで自分の存在がなくなっちゃうなんてところまで。

  • 恐怖心になるから怒りが出てくるという、そこまでわかってくると、かなりの怒りは感情的にそういうことだったのかとだんだん流していけるんです。

  • そういう方法もありますし、本当に心の浄化をしていく中で、小さいときの嫌な事件、ああ、そういうこともあったというところまで思い出せることもあるんですね。

  • 瞑想とか心の浄化を続けていく中で、それを根気よく続けていくということだと思うんですね。

  • 怒りがあるから抑えようじゃなくて、どうしてこういう怒りが出てくるんだろう。どうして、どうして、どうしてというのをずっと突き詰めていく方法も一つある。


    「呼吸法・瞑想」

  • それと、瞑想とかそういうことをずっとやるうちに、過去のこともかなりはっきりいろんなことがわかってきます。

  • 深い瞑想になると、どうしてもこれから何年かかるかもしれませんが、自分を見つける。

  • 深い瞑想になると、看護婦さんになった人が、お金がないから勉強しながら看護婦さんならなれると思ってなったのに、目の前を物すごい洪水で人が流されて、その人たちを助けられなかったというその悔やみが、自分は今度生まれたら看護婦さんになろうと決めていたというところまで思い出したということですね。

  • 怒りについても何か原因がある。それを見取る意味でも、心の浄化をしながら、瞑想

  • 瞑想というのは、やり方についてはこの後に時間があると思います。

  • 心静かな調和のある安らぎの心に持っていきたいと思ったら、天とつながること。それが瞑想だと思うんですね。

  • ですから、今日からでも、ほんの少しずつでも、10分、15分ずつでも瞑想するように。電車に乗っている間だって3分間瞑想、目をつぶってやろうと思えばできるわけですから、そういうことになじませながら、

  • 怒ることは悪いことと抑えないで、どうしてという見方をやってみてください。


    「これから呼吸法と瞑想の体験です」
    では一度立ち上がってみてください。

  • 肩幅ぐらいに足を広げて、大きく息を吸い込んで、丹田といわれるところまで息を吸い込んでみてください。

  • 肩幅の上に頭が乗っていますが、そこに三角形をイメージしますと、この頭の脳天のところ、クラウンチャクラ」といわれるところに黄金のコードが下がってきて、ピュツとクラウンチャクラを引っ張りあげる。

  • これをイメージされると、背骨までピッと伸びる感じになります。

  • そういうふうにして軽く目を閉じて、ゆっくりと呼吸をして、太陽からの光を吸い込んで、頭のクラウンチャクラのところには真っ白なハスの花を思い浮かべる。

  • そのハスの花にずっと太陽から黄金の光が流れ込んでくる。

  • 7つのチャクラを包んでいる筒のようなものがずっと下まで通っています。

  • そこまでずっと上から光をおろしながら息を吸い込んでいく。

  • 7秒かけて息をずっと吸い込んでいく。4秒とどめて、7秒かけて息を吐いていく、4秒とどめて、また太陽から光を吸い込んでいく。息をとどめて、息を吐いていく。それを繰り返してみてください。

  • それが自由にできるようになったら、秒数は数えないで大体そういう間隔で息をして、吸い込んで、また吐いていく。

  • その後、今度は胸のところに自分が好きな花、バラでもいいですし、コスモスでもいいし、桜でもいいし、スミレでもいいし、好きな花を思い浮かべて、息を吸い込んで、息を吐くときにこの花びらを通して息をずっと出していく。光を出していくというか、そんなイメージで呼吸を続けてみてください。

  • 今度は7つのチャクラを包んでいる直径60センチぐらいの筒をずっと地中まで深く伸ばして、地球の中心の水晶からエネルギーを吸い上げる気持ちで、また7秒、4秒休んで、7秒で吐いてという、そういう呼吸をやってみてください。

  • 今のような呼吸法を、朝起きたときにうちの中の窓を全部あけ放って、空気を入れかえながら、きれいな空気をしっかりと吸い込んで、息を吐いていくことをずっと続けてもいいですし、

  • 大自然のすばらしいところに出たときには、思い切り今のようなスタイルで深く丹田まで息を吸い込んで、呼吸を繰り返す。

  • これが体全体の動きを活性化させる非常に大きな力になります。疲れたときもそうですね。空気のいいところに出て、思いっきり空気を吸い込んで、そして、きれいなお花を通して光を出していくイメージで息を吐いていく。それを繰り返してみてください。


    (以上、抜粋終了)




    次に、すばらしい情報を紹介:
    「blogふるやの森」より勝手に引用抜粋しています。すごく参考になり]感謝しています!!


    (以下、抜粋開始)

【再投稿】プレアデス光のワーク
1:グラウンディング


ファーストコンタクト / 2013-04-14 08:35:34


プレアデス覚醒への道―光と癒しのワークブック アモラ・クァン イン太陽出版


8月1日のオープンコンタクトのイベントが近づいてきました。この日には、集まれるメンバーは一緒にワークを行いますがそれ以外は各自で個別に参加されることになります。この日に行うワークの資料としてこの書籍に掲載されているプレアデスのワークを紹介するようにチャネラーを通して要請を受けました。その中でも【グラウンディング】と【ハイアーセルフとつながる】ワークが重要だということなので抜粋を紹介したいと思います。読者のワークにご利用ください。
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(PP117-118)
「グラウンディング」とは、ヒーリングやスピリチャルなグループの中で頻繁に用いられる言葉です。ある人にとっては自分の足が床を踏みしめる感覚に気づくことであったり、または自分が自然の中にいるのを感じることかもしれません。もともとの「グラウンディング」の意味とは、自分の肉体の中にあり、周囲に意識を向けながら何が起こっても対応できるという存在の仕方を指します。


この章で用いるグラウンディングの方法は、あなたの意識と”霊的な存在としてのあなた”をもっと肉体のなかに招き入れるためのヴィジュアライゼーション(視覚化)です。まだ霊的な目覚めをあまり体験していない人はもちろん、規則的に瞑想を実践されているような人のなかにも、グラウンディングのことを知らずに身体の上の空間をさまよいがちな人々が大勢います。もしあなたもそのような一人だとしたら、ほかの人や霊などのエネルギーを非常に受け取りやすい傾向があるでしょう。運よくそういった「サイキック・スポンジ」になっていなかったとしても、まずは自分が肉体のなかにいなければ、とうてい肉体から感情やカルマを上手にとりだして解放することはできません。


プレアデス流の霊性へのアプローチには、全身の細胞レベルでの覚醒とアセンション(次元上昇)がふくまれています。つまり、肉体をはなれ物質世界を超越することがゴールなのではなく、この物質世界の制約のなかで思いこみと怖れを超越することがゴールなのです。あなたがそれを成し遂げるためには、抑圧された感情、思いこみ、判断、コントロールをはじめその他の委縮した低波動のエネルギー(これらが三次元における制約の原因でもあるのですが)を浄化することを目的として、あなた自身を霊的に肉体のなかに充分に降ろしてくる必要があります。それが果たされたとき、キリストや観音や仏陀が体験したように、あなたもハイアーセルフと完全に調和することが可能になるのです。その結果、チャクラがすべて開き、細胞レベルでの覚醒やアセンションがもたらされます。


このグラウンディングのためのワークは、あなたが自分の肉体のなかに「いる」ことを要求します。そのやり方を紹介しましょう。


PP 118-121
1 居心地のよい椅子にすわって背筋を伸ばしてください。目を閉じて両足を床にぴったりつけ、腕は身体の両脇に下ろしましょう。


2 ゆっくり呼吸をしながら、あなたの意識をできるだけ頭のなかの中心部に
集めましょう。意識がさまよいだすのを無理にとめようとせず、ただ呼吸とともにあなたの意識に心の目を向けてください。だんだん気持ちがおちついていきます。


3 では、二~三回大きく深呼吸します。あなたの身体は息をするたび、どのくらい膨らみますか?身体のどの部分が動くでしょうか。


4 今度は呼吸にあわせて、意識的におなかの部分を大きく膨らませてみましょう。背骨の下の末端まで呼吸がいきわたるように、できるだけ大きく息をしてください。緊張や居心地の悪さを手放しながら、これを二回から四回くり返します。するとあなたの身体に活力がよみがえってくるのを感じるでしょう。


5 次に床の上にある、あなたの足を感じてみましょう。あなたの呼吸を使って意識を足のほうに集中させます。


6 (男性の場合)あなたの意識を、椅子に触れているおしりの部分にある第一チャクラに集中させてください。次にその第一チャクラのところに直径10~15センチくらいの光の管またはコードが渦巻いて、はりついているのを思い描いてみましょう。
(女性の場合)あなたの意識を第二チャクラに集中させてください。おへそと尾骨のちょうど中間のところです。その第二チャクラに、直径10~15センチくらいの光の管またはコードが渦巻いてはりついているのを思い描きましょう。
(男女ともに)
頭の中心部に意識を向けながら、この光の管またはコードが地面の中に伸びていくのをイメージしてください。それはどんどん地中深く降りていきます。さまざまな地層を通りぬけ、ついに地球の中心まで達します。そこは磁力の中核で、重力の中心です。あなたのグラウンディング・コードがそこに触れ、ぴったりとつながるのを見てください。どんな感じがするでしょうか。


7 30秒から1分ほど静かに呼吸を続け、あなたの身体の内側と意識の変化を感じてみてください。最初にグラウンディングしたときに、なかには身体のどこかが痛くなったり震えたり、抑圧された感情が浮上してくる人もいます。もしこのようなことが起こったら、それが肉体的な痛みでも感情的な痛みでも、これまでグラウンディングしてこなかったことと何かしら関連する痛みです。あらゆる不快なものを避けようとするのは私たち人間のごく自然な性質なのです。


問題に気づくことがそれを癒す第一歩です。そこから逃れたり目をそむけたるする代わりに、あなたの好奇心と呼吸を使って、それらの感情を探っていくことをゆるしましょう。自分に対する判断や怖れの感情を手放し、そうした感情や身体の痛みに注意を向けるよう気づかされたことを、喜びをもって受け入れてみてください。


そのまま不快に感じる部分に呼吸を通していきましょう。たいていはすみやかな解放がもたらされます。そうでない場合は、より慢性的な問題をかかえているということです。(こうした問題を自分自身でとりあつかうことにあまり慣れていなければ、ヒーラーの助けが必要な場合もあります。ちなみに自分自身を浄化する方法は、この章のあとのほうにも出てきます。)


グラウンディングのさいにまったく不快感のない人は、いままで以上に、「この瞬間にいる」というすばらしい感覚を味あうかもしれません。またグラウンディング・コードに意識を向けたとき、しばらくのあいだ身体がほぐれて、かすかな痛みを感じる人もいるでしょう。 


PP 121-123
8 このグラウンディグ・コードになじんできたら、その色が変化するのをイメージしてみましょう。光のスペクタルの七色を中心に、それぞれの色の微妙な変化や質感を味わっていきあmす。たっぷりと時間をかけて、ひとつひとつの色の効果をじっくり感じてください。ここであげる色のほかにも、あなたが思いつくかぎり、できるだけだくさんの色をイメージして感じていきましょう。


まずブルーから始めます。あなたのグラウンディング・コードが淡い空色から明るい青へ、そしてネイビー・ブルーへと変化していきます。さらに深い藍色になり、それがくっきりしたコバルト・ブルーに変わります。そこへ少しグリーンがまざり、濃い青緑色、そして最後には明るいアクア・ブルーになるのをみてください。


次はグリーンをイメージしてみましょう。あなたのグラウンディング・コードがうすい緑色から深い森の緑へと変わります。そして落ちついたオリーブ色、青々した芝生のグリーン、さらに透きとおった青緑色になります。


今度はイエローです。やわらかなクリーム色がまばゆい太陽の黄色になり、それが黄金色に、そしてからし色へと変化します。


さあ、次は赤です。パステル・ピンクに始まり、カーネーション・ピンク、目のさめるようなショッキング・ピンク、あざやかな赤、血のような赤、深い虹色、そして赤紫へと変わります。


それから白になります。雪のような純白、太陽の輝きの白、真珠色、クリーム・ホワイトへと変わっていきます。


次にブラウンを思い浮かべましょう。ベージュ、おうど色、チョコレート色、キャラメル・ブラウン、木の幹のあたたかな茶色です。


最後にグラウンディング・コードがメタリック・カラーに光ります。シルバー、そしてゴールド、赤銅色、そして終わりにシルバーとゴールドを混ぜあわせましょう。


これらの色のなかには、気持ちを落ちつかせてくれる色もあれば、強さや自信を感じさせてくれる色もあるでしょう。また、あなたが肉体のなかにいるのを助けてくれる色もあれば、いやな感じでグラウンディングがさまたげられるように感じる色もあるかもしれません。あなたの好きな色を見つけて好きな理由と一緒にノートに書き記すか、記憶力に自信のある人はしっかりと心に焼きつけてください。


9 それが終わったら、いまのあなたに必要な色をひとつ選んでください。あなたの最初のグラウンディング・コードを地球の中心から引きぬいて地中に解放してから、いま選んだあたらしい色のグラウンディング・コードをとりつけて、地球の中心にそれをつなぎましょう。


10 目を開いてください。


今後、寝起きに疲れて調子が悪いときには、あなたを爽快にエネルギッシュに感じさせてくれる色のグラウンディング・コードをつなぐといいでしょう。また、人生で手応えや自信が感じられないときは、人生をより確かに感じさせてくれるような色のコードをつなぐこともできます。


このグラウンディングが問題のすべてを解決し、あらゆる不快な感情をとりのぞくわけではありません。しかし、不快な感情をよりすみやかに流すことを促してくれるでしょう。いろいろなあなたの状況に応じて、いちばんふさわしい色を知っておけば、いつもグラウンディングした状態が保たれ、ふつうだったら逃げ出してしまうようなことにも向きあえるようになります。


≪ 【再投稿】プレア... 【再投稿】2010年... ≫


(以上、抜粋終了)


同じく、
「ふるやの森 」BLG より引用

(以下、抜粋開始)

  • 地球文明の再生に向かう
    【再投稿】プレアデス光のワーク 
    2:ハイアーセルフとつながる

ファーストコンタクト / 2013-04-14 08:32:56


PP 355-356
ハイアーセルフ(高次元の自己)とは肉体を超えて四次元から九次元にまで存在する、私たち人間の意識のスピリットという側面です。高次元を超えると、私たちの個別化された意識はもはや識別できなくなります。(もっと詳しい説明については用語集の「次元」を参照してください。)
ハイアーセルフは、それぞれの次元ごとに違った意識と機能と形態を有しています。私たちが通常ハイアーセルフと呼んでいるものは、六次元と七次元にいて肉体をもっていないにもかかわらず、人間のような形を維持している私たち自身の一部なのです。


あなたがそれを願い、そのための準備さえととのえば、いつでもハイアーセルフと意識的につながることができます。けれどもハイアーセルフは、自分の存在に気づいてもらおうとかあなたの人生に影響を及ぼそうとして、あなたの自由意志に干渉することはないでしょう。ハイアーセルフと直接つながるためにはあなたがあなたが霊的に進化することを求め、あなた自身が肉体を超えた価値ある魂とスピリットだということを理解しなければなりません。さもなければ肉体のなかの意識は、エゴと人格の部分があなたという自己の全体だと思いこんでしまうでしょう。


霊性にめざめはじめた人なら、自分と対をなす「聖なる写し」の存在に気づいたことがあるかもしれません。また瞑想やさまざまな訓練や、夢、啓示などを通して、自分の身体に宿る神聖さと出会ったことがあるかもしれません。そういったときにこそ、ガイドや高次元のマスター、天使、あなた自身のハイアーセルフに対して、自然に内側の「神聖な自己」または「真の自己」と出会うための援助を求めるようになりますそれらの存在の助けを得ると、カルマの問題や観念や判断をはじめ、さまざまな感情や自己の内側の神聖さとつながる道をふさいでいるものが表面にあらわれてくるでしょう。それによってあなたの「霊的な気づき」という浄化と癒しの探求が活性化されはじめるのです。


PP359-360
それでは、実際にあなたの身体のなかのハイアーセルフと意識的につながるための方法を述べましょう。
あなたが覚醒とアセンションに近づくにつれて、ハイアーセルフの一部の部分が少しづつあなたの身体に融合されていき、最終的にはすべてが永久に溶けあったままで体内に宿ります。それぞれの段階において、あなたが見るハイアーセルフの形態は変化していきます。なぜならあなたは意識と肉体に融合されたハイアーセルフをさらに超えて、もっと高次元のハイアーセルフとつながろうとするからです。そしてついにはハイアーセルフを光の球体や星あるいは光の渦などの、もはや人間的ではない形態として体験するでしょう。それはあなた自身の高次元に到達したということです。

毎日あるいは少なくても規則的なスピリチュアルなワークにこれから紹介する瞑想を組み入れ、あなたのアイデンティティを霊的な本質と同じものへと加速させて安定させるようにしましょう

PP362-364
1 目を閉じてグラウンディグをしてください。
2 あなたのオーラを引きよせたり伸ばしたりして、身体から60~90センチ」ほどのところまでをおおうように調整します。境界の色とバラの花を確認して、必要なら交換しましょう。
3 あなたの前に立って人間の姿を見せてくれるよう、あなたのハイアーセルフに呼びかけてください。
4 ハイアーセルフがあなたの前にあらわれたら、両手を差し出してハイアーセルフの手のひらをあなたの手のひらに合わせてくれるよう依頼しましょう。
5 ハイアーセルフの手からあなたの手にエネルギーが伝わってきます。そして手のひらから両腕を通り、ハートに到達し、そこからさらにエネルギーがあふれだして全身へと流れていくのを感じてください。
6 エネルギーが全身に流れているのを感じながら、ハイアーセルフに名前をたずねてください。気持ちを落ちつけて返事を待ち、一分ほどたっても名前が返ってこないようなら、そのまま次に進みましょう。

7 両手を降ろして、今度はチャクラを融合させます。あなたの背後に立ってくれるようハイアーセルフに求めてください。
8 頭頂部のクラウン・チャクラから息を吸いこみましょう。そして、ハイアーセルフのクラウン・チャクラからあなたのクラウン・チャクラへと光のコードを伸ばしてくれるよう求めてください。実際に光のコードでつながったのを感じたら次に進みます。
9 あなたの後頭部の中心から息を吸いこんで、その場所にハイアーセルフの第三の目から光のコードを伸ばしてくれるよう求めましょう。つながったのを感じたら、さらに次に進みます。
10 あなたの首のうしろから息を吸いこみ、ハイアーセルフの喉のチャクラからあなたの喉のチャクラの裏のその場所へと光のコードを伸ばすよう求めてください。つながったのを感じたら、さらに次に進みます。

11 あなたのハートチャクラの裏側にあたる、左右の肩胛骨のあいだから息を吸いこみましょう。ハイアーセルフのハート・チャクラから、その場所へと光のコードを伸ばすよう求めてください。つながったのを感じたら次へ進みます。
12 太陽神経叢のちょうど真うしろから息を吸いこんで、その場所にハイアーセルフの太陽神経叢からの光のコードを伸ばしてくれるよう求めます。つながったら先へ進みましょう。

13 仙骨のチャクラから息を吸いこんで、ハイアーセルフのルート・チャクラからあなたのその部分に光のコードを伸ばしてくれるよう求めます。つながったら先へ進みましょう。
14 あなたの尾骨から息を吸いこんで、ハイアーセルフのルート・チャクラからあなたのその場所に光のコードを送ってくれるよう求めましょう。ここであなたの背後からさあっとエネルギーが流れこんできて、身体中に満ちていきます。静かな高まりを感じてください。それはあなたのハイアーセルフがあなたの肉体と完全に溶けあったしるしです。身体がひろがったような気がしたり、光、やすらぎ、喜びなどを感じるかもしれません。あるいは愛に満たされた、いいようのない幸福感を味あうかもしれません。好きなだけ充分その状態を感じてください。

身体のどこかにハイアーセルフとまざりあっていない部分があるようなら、その場所にむけて呼吸を通しながら緊張を解いてください。ハイアーセルフがそこに溶け込んでいくにつれてエネルギーがシフトするのを感じるでしょう。

15 あなたのハイアーセルフに何を贈ったらいいかたずねてください。そしてそれをプレゼントしましょう。その贈り物の意味について知りたければ質問してください。
16 次にあなたの両手を差しだして、ハイアーセルフからの贈り物を受け取ります。その贈り物に触れ、眺めながらエネルギーを感じてみましょう。贈り物の意味を知りたければ質問してください。
17 充分に贈り物を味わったら、それをあなたの身体のなか、あるいはオーラ内のもっともふさわしいと思う場所にしまってください。

18 ここで何かあなたに伝えることはないかどうか、ハイアーセルフにたずねてみましょう。全身の力を抜いてリラックスし、その声に耳を傾けてください。メッセージを受け取る場合もあるし、受け取らない場合もあるでしょう。
19 それが終わったら、あなたがハイアーセルフと永遠に結ばれたいと思っていることを伝えてください。そのゴールにむかって適切なあらゆる方法で援助してくれるようにハイアーセルフに要請しましょう。さらに、すぐにまた会いたいと思っていることを伝え、今後はこの瞑想をしていないときも、できるかぎりあなたと溶けあっていてくれるよう求めましょう。

20 あなたの鼻孔から出入りする室内の空気を感じてください。それからあなたの身体に意識を向けながら、ゆっくりと静かに目を開きます。日常生活に戻る前に、少しのあいだ目を開いたままハイアーセルフとのエネルギーのつながりを感じてください。そして自分の中心にいるというやすらぎを感じてみましょう。これからあなたが何をしているときもハイアーセルフとのつながりが保たれ、援助されるのをおぼえておいてください。


(以上、抜粋終了)


【2012年の黙示録 [HOME]】
さんより以下抜粋・引用です。 
   
7つのチャクラ  魂を生きる階段 キャロライン・メイス・著  川瀬勝・訳  サンマーク文庫  
より勝手に引用抜粋しています。すごく参考になり感謝しています!
(以下、抜粋開始)

この本は、私が「終末における大切な生き方」として力説しております「身魂磨き」の要諦を、「気」の視点から述べた本ということが言えます。チャクラ の解説については類書もたくさんありますが、あえてこの本をご紹介しましたのは、「恐れ」と「信じる心」との関係で、私たちの「気」がどのような影響を受 けるのかということをわかりやすく説明してくれているからです。
 
最近、かつてのノストラダムスブームのように終末予言がブームになっているような感じがしています。そのこと自体が“終末現象”なのですが、現在の物質文明が既に引き返すことのできない隘路に入っており、間もなく破局を迎えるで あろうことは、何も聖者たちの予言に頼らなくてもわかることです。


加速しつつある時間の流れの中で、人びとの心の乱れも加速し、拡大再生産されつつあります。それらは仏教が教える人類の“業(カルマ)”となってこの物質世界に跳ね返ってくるのです。その再生産のスピードが速すぎるため、多くの人が世の異変に気がついたときはすでに手遅れで、すさまじい破局となって一瞬にしてこの世界を崩壊させることでしょう。そのとき人びとは、「恐怖心(恐れ)」に駆られて取り乱してしまう人と、「(絶対神を)信ずる心」で物質文明の崩壊を冷静に見守ることができる人とに 分かれていくことになるはずです

 
極限の状態のときに“威力”を発揮するのは「恐怖心」か「信ずる心」かのどちらかなのです。この物質文明がこのまま続く(生きながらえる)と思っている人や、「終末なんて恐くない」と強弁する人は、物質文明に毒されてしまった人と言うべきでしょう。その深い眠りから目を覚ますための時間はあまり残されていないのです。
この本はそういう視点から読んでいただきたいと思います。                                    
なわ・ふみひと

人生は、ときとしてつらいこともある。しかし霊的に見れば、私たちは、人生で体験する痛みにきちんと直面するようになっている。欧米では、神が人間のためにつくった計画が誤解されており、人生は快適で何の問題もないことが当然と考えられている。神の存在の有無を、人生の快適度で測ってしまうのだ。だが、神でも仏でも、あるいはどんな霊的な指導者であっても、痛みのない人生など保証してはいないし、それがいいとすすめてもいない。霊の道の教えは、苦しい体験ひとつひとつが霊的な学びであり、あらゆる体験の裏に隠された学びに気づく助けにもなってくれるのだ。


第1の法則 ―― 体は人生の履歴書


うつ状態というのも、調子が悪いことを示す症状だ。臨床医学の世界では、うつ状態というのは一般に感情的、精神的な障害とみなされている。だが長期にわたるうつ状態が、身体の病気の前ぶれということもよくある。  
「気」の観点からいうなら、うつ状態というのは、文字どおり無意識のうちに「気」が失われていく、ということだ。「気」という言葉を、「生命力」と置き換えてもいいだろう。エネルギーがお金のようなものだとしたら、うつ状態とは、財布を開けて、「好きなだけ金をもっていっていい。どう使われようとかまわない」と宣言するようなものだ。
長期間のうつ状態は、間違いなく慢性的な疲労を引き起こす。誰がどれだけ自分の金を使おうと気にしなければ、誰でも間違いなく一文なしになるだろう。それとまったく同じように、「気」がなければ健康を保つこともできない。  
誰でもネガティブな感情はもっているが、そのすべてが病気を引き起こすわけではない。病気になるのは、ネガティブな感情が支配的な力をもつときだ。  
病気なった人や自分を責めてはいけない。人が意識的に病気をつくり出すことはまずない。「自分がとっているのは身体に有毒な行動パターンや態度だ」と気づかないでいる結果として、病気は発生するのだ病気になり、自分の態度を見直すことを余儀なくされてはじめて、私たちは日常の恐れや反感に満ちた態度が、実は身体に悪い物質だと悟る

「気」とは力である。つらかった出来事をいつまでも思い出しつづけてエネルギーを過去に送っていると、いまという瞬間に存在する身体から力が漏れ、それが病気につながることもあり得る。

第2の法則 ―― 健康でいるためには内面の力が欠かせない  
第1の法則、身体は人生の履歴ということと、

第2の法則、健康でいるためには内面の力がいるということを、まとめて考えてみよう。

力は私たちの内面の世界と外界との仲介役を果たし、その際に神話的な言語と象徴でコミュニケーションを行なう。たとえば、いちばんわかりやすい力の象徴であるお金のことを考えてほしい。お金を力の象徴として自己の内面に取り入れると、お金を稼ぎ、支配することがその人の健康を象徴するようになる。
お金を稼ぐと、その人の身体は、体内に力が入ってきたという信号を受けとる。「自分にはお金がある、だから安全だ、安心できる。自分には力があるし、これですべてはうまくいく」という無意識のメッセージを心が伝達する。身体に伝達されるこの肯定的なメッセージが、健康をつくり出すのだ。もちろん、お金をたくさん稼いでも、健康が保証されるわけではないが、貧困、無力感、それに病気は、間違いなくつながっている。お金を稼げなくなったり、突然お金を失ったりすると、身体が弱くなることもある。

第3の法則――自分の癒しを助けられるのは自分だけ
「気」の医学はこう教えている。  
自分の健康をつくり出す責任は自分にある。ということは、あるレベルでは自分が病気の発現にもかかわっている。自分を癒すことで、病の癒しにかかわることができる。それは、感情的、心理的、肉体的、そして霊的な存在として自分を同時に癒すことを意味している
「癒す」と「治す」は同じではない。

「治す」というのは病気の身体的な進行をコントロールできた、あるいは抑えられた、ということだ。身体の病気が治っても、もともと病気の一部であった感情的、心理的なストレスが軽減されたとはかぎらないのだ。病気が再発する可能性も十分ある。「治す」というプロセスは受動的だ。患者は医師に処方される治療処置に、 自分をいかようにしてもいいという権限を与えてしまう傾向がある。

これに対し「癒し」とは、自分から取り組む積極的な内面のプロセスである。これまでのものの見方や記憶、信念などを見直し、自分が感情的、霊的に百パーセント回復する妨げになる否定的なパターンをすべて手放したいと欲することだ


象徴的なものの見方を学ぶ

 

人生で直面する困難から、何か意味を見出すことだ。自分の健康にそれがどういうつながりをもっているか考え、感じとってみる。  
誰が、ということよりも、何が自分から力を奪っているのか問いかけることではじまる。気を奪っている人間とは、実は自分のなかのある部分の反映にすぎないと理解しなくてはならない。
たとえば誰かに嫉妬しているとしたら、あなたにとっての問題はその人ではなく、その人に反映された自分の影なのだ。嫉妬している対象の人に焦点を合わせても、自分を癒すことにはならない。次から次へと同じことを教える「教師」が送られてくるだけであり、新しい教師は前の教師よりも強烈になっていくことだろう。

あなたの課題とは、その教師に反感を持つことではなく、教えられるレッスンを学び取ることなのだ。

人生は本質的に学びの体験だ。すべての状況、人間関係、難題には、自分で学ぶか、あるいは人に教える価値のあるメッセージが隠されている

すべての状況において、肯定的なエネルギーは否定的なエネルギーよりも効果的に働く。  
「いま」という瞬間に生きること。そして、まわりへの許しの心を実践すること


7つのチャクラの象徴的な力

 
チャクラの体系は、人間の成熟の過程に見られる7つの明確な段階を、元型 (アーキタイプ)として描写したものだ。  
チャクラは人間の身体の脊椎の基底から頭頂まで、縦一直線に並んでいるが、これは私たちが物質世界の誘惑を徐々に克服することによって、神性へと昇華していく過程を暗示しているチャクラにある学びをマスターしていくにつれ、人は力について、また自己についての知識を得て、それが自分の霊に統合されていき、高次の霊的意識に向かう道を一歩前進することができるのである。
 第1のチャクラ  物質世界についての学び
 第2のチャクラ  セクシュアリティ、仕事、物欲についての学び
 第3のチャクラ  自我、人格、それに自己敬愛についての学び
 第4のチャクラ  愛、許し、慈しみについての学び
 第5のチャクラ  意志、自己表現についての学び
 第6のチャクラ  知性、直観、洞察、叡智についての学び
 第7のチャクラ  霊性についての学び


7つのチャクラと7つの聖なる真理との共通性

 
私たちの身体系にある7つの力の中心点には、それぞれ、7つの聖なる真理のうちのひとつが内包されている。この真理は、内面で脈動を続け、その力の適切な使い方に沿って生きていくよう、私たちを導こうとする。私たちは、この7つの真理に関する知識が気系のなかに織り込まれた状態で生まれてくるのだ。これらの真理をないがしろにすると霊と身体の両方を弱体化させ、逆に尊ぶと、霊と身体を強化してくれる。

エネルギーとは力であり、身体はエネルギーを必要としている。つまり身体は力を必要とする。チャクラや、キリスト教の7つの聖典は、力との交わりについて語っている。
たとえば、最初のレペルでは、まず私たちは、集団のなかでのアイデンティティ、そして家族のなかにある力をもつことに、どう対処するかを学ぶ。あとのレベルでは、一個の成人として、力を個性化し、コントロールすることを学んで いくのだ。

そして、心、思考、さらに霊をコントロールする術をだんだんと学んでいく。あらゆる選択は、信頼、あるいは恐れによって動機づけられ、霊にひとつの方向性を与える。  

ある人の霊が恐れによって動かされているとしたら、恐れが気場と身体に戻ってくるのだ。逆に、信頼によって霊を方向づけてやれば、慈しみが気場に戻り、生体系は嬉々として健康な状態を続けられる。洋の東西を問わず、どの教えをとっても、恐れや否定的な感情を通して自分の霊を物質界に解き放つことは、天意を無視し、利己的な意志を優先する、信心なき行為であるとしている

東洋の教えでいう、すべての行ないはカルマをつくり出すということだ。覚醒した行為は良いカルマをつくり出す。恐れや否定的な行動は悪いカルマをつくり出す。そうすると、その否定的な行為の動機となった恐れから、自分の霊を「取り戻して」こなければならない。

私たちは、同時に物質と霊の両方の存在である。自分を理解し、身体と霊の両面で健康を保つためには、物質と霊がどういうかたちでかかわりあうのか、身体から霊や生命力を吸い取ってしまうものは何か、そして、恐れ、怒り、過去への執着などの「ニセものの神」から自分の霊をよび戻すにはどうすればよいのかを理解しなければならない。  

チャクラ体系ではそれぞれの気の中心には、特定の力が内在する。これらの力は、もっとも比重の重い物理的なものから、もっともエーテル的な、あるいは霊的な力へと上昇していく。驚くべきことに、私たちが人生で直面する試練も、これと同じ順で起きていく傾向にある


選択とは創造することのプロセス

 

第2チャクラの気は、同族という集団の気を越えて成長していく助けとなってくれる。選択は、対立するふたつの極があるからこそ生まれてくるのであり、第2チャクラの二面性は、プラスとマイナスの気のパターンの相反する極がつくる世界で選択を続けていくという、永遠の課題を投げかけている。すべての選択は、私たちの気の微細な電流を宇宙に放つ。そして宇宙は、気の放つ微細な電流に反応するのだ。  

私たちの行なう選択が、私たちの霊を物質へと織りなしていくという事実こそ、世界の主だった霊的な教えが、基本的にただひとつのレッスンを中心に形成されている理由でもある。それは、賢い選択をしなさい、ということだ。

なぜなら、ひとつひとつの選択は、自分の霊の力を創造的に行使することにほかならず、その責任も自分でとらなければならないからである。さらに、信念をもって行なわれた選択は、そこに天の力がフルに加わることになる。だからこそ、「けし粒ほどの信念が、山をも動かす」ことができるのだ
逆に、恐れから 行なわれる選択は、信じる心の気を侵害することになる。  
だが、選択には神秘的な一面もある。というのは、自分の選択のもたらす結果をすべて知ることはけっしてできないからだ

 
逆説的なのは、第2チャクラの気が、人生をコントロールしようという方向に私たちを向かわせるのに対し、第2チャクラから得るべき学びとは、何もコントロールすることなどできない、という点であるということだ。私たちは物理的な存在であると同時に、気の存在だ。物理的な世界をコントロールすることはできないのだから、私たちの目前にある課題とは、外面の世界に対する私たちの内 面の反応をコントロールできるようにする、ということになる。つまり、思考や感情である。

そうはいうものの、誰もが自分の人生をコントロールしようとして、結局は失望するという、終わりがないように思えるサイクルのなかでもがく。すべてに完璧な秩序をもたらし、あらゆる変化の動きを止めて、すべての人びと、すべてのものごとに対する最終的なコントロールを可能にしてくれるような一大選択を私たちは求めつづけていく

それは仕事? それとも完璧な結婚相手? あるいは住む場所なのか?この、ただひとつの選択をつねに探し求めることで、私たちは、本来は人生そのものの姿であるはずの、変化するリズムというものに対する恐れに実体を与え、それを現実の存在にしてしまう永遠のやすらぎ、安定、愛、そして健康をもたらしてくれるはずの、どこかに存在するひとりの人間、あるいは何かひとつのものを探し求めるなかで、私たちは「目の前にある外面の世界ではなく、内面にある本当の力」を取るに足らないものとして見過ごす

 

二面性をもつ矛盾した本質のなかにある真理とは、こういうことだ――大切なのは何を選ぶかではない。結果に影響を与える力は、ある選択をした理由のほうに存在する

第2チャクラの課題は、私たちがある選択をするときに、何がそうさせるのかという動機を学ぶことである。動機を学ぶなかで、私たちは自分の霊の中身についても学ぶことができる
'''あなたは恐れで満たされているのか、信ずる心でか。
私たちの選択は、すべてこの信ずる心、あるいは恐れのどちらかの気をもっており、選択の結果もまた、ある程度そのどちらかを反映する'''。この選択のプロセスのはたらきで、自分からも、自分の下した決定からも、私たちは逃げられないようになっているのだ。


悪い行為や否定的な思いは、恐れにその源がある


たとえば、裏切られるかもしれないという恐れ、人との関係のなかで自分の尊厳を侵される恐れや、金銭をだまし取られるのではないかという恐れが力をもつかぎり、その力の強さが、否定的な方向に向かう行為の「量」を決定することになる

肯定的、否定的に関係なく、何かを信じるということは、必ず何らかの結果を生み出す信心の対象を恐れに置くことは、破壊的な結果をもたらし、それはまず、自信をもって外部の世界と関係をもつ能力が崩れていくことからはじまる。  

恐れに動かされると私たちは、セックス、権力などのニセ物の神や、それが象徴するものにたやすく誘惑されるようになる

いったんその誘惑にはまってしまうと、私たちは自分の手にあるはずの力を放棄し、それを誘惑の対象へと手渡してしまう

たとえば、すでにうまくいかなくなっている個人的な関係、お金や安定を与えてくれるはずの外部の世界に存在する何か、忘却のなかにやすらぎを見出してしかるべきなのに、繰り返し思い出してしまう過去の体験、あるいは麻薬やアルコール中毒などだ。恐れのささやく声に操られ、人は明晰な思考や行動ができなくなってしまう


お金のために気を売り渡していないか


お金は、気と同じく中立の物質であり、使う個人の意図に従う。お金が持つさらに興味深い一面は、それが生命力の代わりとして人間の精神に織り込まれることがあるという事実だ。これは無意識に行なわれることが多いが、お金を生命の気と同一視してしまうと、ふつうその結果は悪いものとなる。というのは、人が使うお金はすべて、無意識レベルでの気の支出でもあるからだお金の不足は、気の不足につながる。これも無意識に起きることだ。  

お金を生命力と誤って解釈したうえ、さらに突然お金を失う事態に直面すると、それが病気の引き金となることがある。たとえば、前立腺ガン、性的不能、子宮内膜症や卵巣の問題、腰痛や座骨神経痛などだ。つまり、お金は性的な力と同一視されるようになっているのだ。  

誰でも精神の内面で、ある程度はお金と生命力を一緒に考えている。もちろん、本質的には別の存在である。しかし、できることなら、別々でありながらも、容易に、しかも自然に、自分の気にお金が引き寄せられてくるような関係をつくることが私たちの課題だ。  

お金との関係が親密でなく、非個人的であればあるほど、必要に応じてそのエネルギーを人生のなかに引き寄せてくることができる確率も高まる。  

象徴の世界、気の世界でも、お金が相当な影響力をもっていることは疑いの余地がない。「口だけでなく、金も出さなくてはならない」とか、「口で言うのはたやすい。本当にものを言うのは金だ」といったような言いまわしは、お金をどうするかのほうが、ただ口で語る意図よりもその人の本当の動機についてずっと多くを語るという、私たちの文化の視点を示している

お金はまた、私たちが自分の個人的な信念や目標などを公にする手段でもある。気は行動に先立って存在するものであり、私たちの持つ意図が、結果にかなり影響する。  

お金についての信念は、霊の道についての考え方やその実践にも影響を与える。神は、良い行ないをしようとした者に金銭的にも報いるという信念は非常に強く、慈善行為などが、自分を確実に貧困から守ってくれるという信念も同様だ。この種の信念はほかにもたくさんあるが、すべてそれは、神が金銭を通して意志を伝えているのであり、反対に私たちも金銭を通じた行動で神と意志を伝え合っているのだという、さらに大きなレベルの見方を反映しているのである。  

このよぅな信念が、真実に基づくものなのか、あるいは一種の神話なのかは、この際無関係だ。信じていないよりも信じている部分のほぅが多いことはたしかで、この事実からだけでも、私たちがお金と信仰をつなげていることを理解しなくてはならない

お金との最も賢い関係とは、「信ずる心」が人生に引き寄せてくることのできる物質として、お金を見ることだ

お金よりも「信ずる心」を優先させることは、お金の役割を、「主」から、よりふさわしい地位といえる「召し使い」へと降格させる。お金を超越して何かを信じる心があれば、金銭的な心配をせずに、自分の直観による啓示に従う自由が与えられるのだ。もちろん、この物質世界の一部であるかぎり、債務や支払いなどのルールは守らねばならないし、お金とも常識的な関係を保つことは必要だが、ただそれだけのことで、それ以上のものではないのだ。

このような信心をもちはじめること自体、すでに霊的な意味での成熟のしるしといえる。霊的に成熟した人間は、ある啓示に従って行動することもあるが、お金をまず第一に考える人にとっては、それはばからしいことに思えるだろう。  
霊的な神話によく登場するのは、天が信心をもつ人に接触し、ある指示を与え、それを遂行できるように、日々「天からの食物(マナ)」を与える、という話だ。天からいただく食物の一部には、金銭的なエネルギーも含まれる。私の知るかぎり、霊に関する書物のどこを探しても、神からの啓示に従ったことを後悔したという人間の話は出てこない

第4のチャクラは、「自分の手を離し、神にすべてをまかせる」ことができるかどうかを決定する
その気を使うと、私たちは感情面での難題を、神なる計 画の一部として受け入れることができる。その計画の意図とは、私たちの意識の進化である。感情的な痛みを手放し、過去の出来事がなぜあのように起きたのかを追求しないようになると、私たちはやすらぎの状態に到達できる。しかし、この内面のやすらぎを達成するには、許しの気を体現し、人間が勝手に決める、より低次元の正義の意識を手放さなければならない


一生かけて愛の力を学ぶ

 

愛はあまりにも強い力をもつため私たちはいくつかの段階を経て、徐々にそれを知っていくようになっている。各段階は、さまざまな愛のかたちとその力について学ぶ機会を提供する。許し、慈しみ、寛容、親切、自分や人を大切にす る気持ちなどだ。そして、私たちは各チャクラの構成に沿って、これらの段階を踏んでいく

まず最初は第1チャクラ、つまり同族のなかで愛を学ぶ。家族のひとりひとりから、さまざまなかたちで表現された愛のエネルギーを吸収する。同族による愛は無条件なこともあるが、ふつうは集団への忠誠と支持への期待を伝えてくる。同族的な環境では、愛は自分と同類の人たちと分かち合うエネルギーなのだ。  

第2チャクラが目覚め、友情の絆を学ぶにつれて、愛は成長して、「部外者」もその対象に含まれるようになる。血のつながっていない人に分け与えたり、その人を大切にすることを通して愛を表現するのだ。

次に第3チャクラが目覚めると、外的なものや、自分の個人的なもの、身体的なもの、物質的なものへの愛を発見する。たとえば、運動や学問、ファッション、異性との交際、職業や家庭、そして身体への愛などがあげられる。


「傷ついた子供」からぬけ出すことがつぎの一歩

「自分を愛せなければ、誰も愛することはできない」という言葉はよく耳にする。だが、自分を愛するということは、多くの人にとって、いまだあいまいな概念のままであり、単にそれを物質的なかたちで行動に移すだけであることが多い。つまり、ショッピングに狂ったり、ぜいたくな休日をすごしたりというかたちだ。自分へのごほうびに旅行したり、何か「おもちや」を与えるのは、第3チャクラの愛であり、自分への感謝を表すのに物質的な快楽を使っている

このようなごほうびはたしかに楽しい。しかしそれは、私たちの健康に影響するような、人間関係、仕事など、何か問題を抱えた状況を見直す必要があるときにおとずれる、深い心の揺らぎを感じとる妨げとなることもある。  

第4チャクラでの「自分を愛する」という課題は、心から響いてくる感情のメッセージと、霊からの指示に耳を傾ける勇気を持つということだ。癒しのために心が最も頻繁に私たちを導いていく対象の元型は「傷ついた子供」というものだ

内なる「傷ついた子供」には傷つけられたり、発育を妨げられた小さいころの感情や、苦痛に満ちた記憶、相手の否定的な態度、それに機能不全を起こしている自画像などのパターンが隠されている。そして、違うかたちかもしれないが、大人になっても知らず知らずのうちにこのようなパターンにはまって生きていることもある。  

たとえば、子供のころの捨てられるという恐怖は、嫉妬にかたちを変える。性的な虐待はセクシュアリティの機能不全となる、自分自身の子供に同じ行為を繰り返す原因となる子供が否定的な自画像をもつと、のちにそれは拒食症、肥満、アルコール中毒やその他の中毒症を起こしたり、失敗の恐怖に取りつかれたりする。これらのパターンは、人との関係や仕事、あるいは個人的な生活に大きな損傷を与え、さらに健康に害をおよぼすこともある。

自分を愛するためには、自己の内面にあるこの元型の力に立ち向かい、私たちを支配する「傷ついた子供」を心のなかの権威の座から引きずりおろさなければならない。癒されないままだと、傷はいつまでも私たちを過去に生きるように仕向ける。癒しは許すという行為を通じて可能になる。  

愛が持つ癒しの力に自分を百パーセント開いていくためには、「許し」こそが最初に起きなければならない不可欠の霊的行いなのである。自分を愛する心とは、過去の傷をもたらした人びとを許せるほどに自分を大切にすることなのだ

第5チャクラ、「自分の霊と意志の力をあきらめ、神の意志に従う」というチャレンジを体現している。霊的な視点から見ると、もっとも次元の高い目標とは、個人の意志を完全に手放し、それを「神なる存在の手」に委ねるということだ


恐れがもたらすもの

 

最も代償の大きいのは、恐れによる行動がもたらす気的な結果だ恐れからなされた選択は、たとえ自分の望むものへとつながったとしても、同時に望ましくない副作用がもたらされることが多い。この予期しなかった結果は、恐れが神なる存在からの導きに対する信頼にそむくものであることを教えている

私たちはみな、少なくとも時折は、人生をコントロールしているのは自分だという幻影のなかに生きることがある

お金や社会的地位を求めるのは、選択肢が広がることによって得られる大きな力のためであり、ほかの人間が決めてしまう選択に従う必要がないようにするためである。高次の意識は、個人の意志を神なるものの意志に委ねることを要求するという考えは、私たちが「力ある人間」の姿と考えているイメージすべてと正反対のものだ。

このため、私たちは、恐れ――驚き――恐れ――驚き、というサイクルを繰り返す状態に陥ることがある。それは心が祈りの状態に到達し、「選ぶのはあなたで、私はそれに従います」と言えるようになるまで続くかもしれない。この祈りを捧げると、人生に導きがおとずれる。同時に、数限りない共時性や、偶然と思える出来事が続くことになる。神なる存在がお得意の「干渉」だ


何を信じるかで人は変わる


第5チャクラの中核を成すのは「信ずる心」である。誰かを信じると、自分の気の一部がその人のために確保される。ある考えを信じると、その考えに気が向かう。何かに対する恐れを信じると、気の一部がその恐れに与えられてしまうのだ気を与えることによって、私たちの知性、心、それに人生全体が、気を与えた対象のもたらす結果の一部に織りなされる

信ずる心、それに選択の力とは、まさに創造する力そのものだ。人生では、私たちはエネルギーが物質に変換されるための媒体なのだ。  
このため、人生に必ず隠されている霊的なテストは選択の陰にある自分の動機を見つけ出すこと、そして自分がはたしてこれを信ずるのか、それとも神なる存在を信ずるのかを発見することだ。それが霊的な思索の結果でも、病気がもたらした結果だったとしても、誰もがこのことについて考えていかなくてはならない。  

'''いったい誰が自分の人生をコントロールしているのか?なぜ人生は自分の思いどおりにいかないのか?
こう問いかけるときが誰にもおとずれる'''。

どんなに成功を収めていたとしても、いつかは自分が不完全であると感じていることに気づくときがやってくるのだ予期せぬ出来事や人間関係、あるいは病気が、危機を乗り越えるのに自分の力だけでは不充分なことをまざまざと見せつけてくれるのである

私たちは、自分の力は限られているということに気づくようになっているのだ。そして、ひょっとすると人生には何かほかの「力」がはたらいているのだろうかと考え、さまざまな問いを発するようになっているのである。  

いったい何が起きているのか? 
自分にどうしろというのか? 
何をすればいいのか?自分の目的とは何なのか?
 
自分の限界に気づくと、もし気づかずにすんでいれば、しなかったような選択の可能性を考えるようになる

人生がどうしてもうまくいかないとき、それまではけっして受けいれようとはしなかった啓示にも心を開くようになることもあるだろう。そうすると、人生はまったく予期しない方向に向かっていく可能性がある。

そして最後はこうなる場合も多い――「まさかここに住んでこんなことをするなんて、夢にも思わなかったけれど、なぜかそうなって、すべてうまくいっている」

このような、すべてを委ねる状態に到達するには、象徴的な見方を使い、人生は単なる霊の旅であると見ることが役だつかもしれない
切迫した状況から回復したのは神なるものにすべてをまかせたおかげだと語る人を、誰でもひとりやふたりは知っているだろう。そういう人は、ひとりの例外もなく、必ず神なる存在にこう言っているはずだ。「私の意志ではなく、あなたの意志にすべてを委ねます」と。この祈りを唱えるだけでいいならば、私たちはなぜそれをこんなにも恐れているのだろうか。

自分の意志をさらに偉大な意志へと委ね、神なるものの意志の存在を認めると、物質的な快適さをもたらすあらゆるものと切り離されてしまうのではないか……。私たちはこのことをずっと恐れているのだだから自分の意志を神なるものの意志に対抗させようと頑張るのである。啓示を招き入れながら、それを完全に妨げようとする。このジレンマに陥っている人を、私はワークショップの参加者に繰り返し見てきている。直観の啓示を求めながらも、その声が何を言うか恐れているのだ。  

自分の物質的な生活と霊の道はひとつであり、同じものであることを忘れないでほしい物質界での楽しみを得ることも、健康な身体をつくることと同じように、霊的な目標なのだどちらも、どういう生き方をするかを選択し、信ずる心と信頼に基づいて行動することを選択する際に、神なる存在の導きに従った結果なのである

神なる存在の権威にすべてを委ねるということは、物質界の幻像から自由になることを意味するのであって、物質界のよろこびと快適さから切り離されることではない

第5チャクラの霊的な気は、私たちをこの「委ねる」というところまで導いてくれる

最も偉大な愛の行為は、人や自分への審判を下すのをおさえることである場合もある
審判を下すのは、霊的に見ると誤りだと私たちは繰り返し思い知らされる

強い意志をもつように自分を律することで、まわりの人たちや自分に対して悪い思考を向けるのをおさえることができる

価値判断を避けることで、私たちは叡智を手にし、恐れを打ち負かせるのだ

懺悔という行為は、自分の選択のもたらす結果から私たちの霊を呼び戻してくれる
気の存在としての本質をさらに学んでいくにつれて、私たちは自分の霊がいかに過去や現在の悪い出来事や思考などに取り込まれているかに気づく。  
懺悔は、間違った行ないを公に認めるだけではない。気の観点から見ると、それまで自分の霊を支配していた恐れに気づいたこと、そしてその恐れを越える力を得たことを認識する行為なのである

象徴的には、懺悔は過去の恐れや否定的な思考のパターンから私たちを解放してくれる。悪い出来事や信念に取りつかれたままでいることは、心にも、霊にも、細胞組織にも、そして生命そのものに対しても毒性をもつのだ。  

業(カルマ)とは、私たちの選択がもたらす気的、身体的な結果である。悪い方向に向かうような選択をすると、良い方向に向かう選択をするにはどうしたらいいかを教えるための状況が繰り返し引き起こされる。
学ぶべきことを学び、良い選択をすると、その状況はもう起きない。それは、私たちの霊が、もはやその学びを生ずる原因となった悪い選択に取り込まれていないからだ

西欧の文化ではこのような業についてのレッスンは、「すべてはまわりまわって自分のところにやってくる」とか、「償いなしにすむことは何もない」といった社会の格言に言い表されている。懺悔の行為は、自分のつくり出したものに対する責任を認め、自分の選択の誤りに気づくことなのである

「人生での成功とは何か特定の目標の達成」だと信じるあらゆる価値観から、自分を切り離す。

かわりに、「成功した人生とは、自己をコントロールし、人生のさまざまな難題に対処できるようになる過程だ」と見るようにする。成功を物理的なものではなく、気の力のもつ勢いとして思い描く

内面の啓示に従って行動し、その啓示が「本物」である証明を要求しない。証明を求めれば求めるほど、それを実際に得られる可能性は減っていくだろう

意識をすべて、いまという瞬間に向ける。過去に生きたり、将来のことを心配することはやめる。実際に見えるものよりも、見えないもののほうを信頼することを学ぶ。  

聖なる真理――第7チャクラの気はすべてにおいて、神なる存在との親密なつながりを求めるよう私たちをつき動かしていく。このつながりをもちたいという霊的な欲求は、宗教への帰属を求めるのとはかなり異質のものだ
まず第一に、宗教とは集団の体験である。おもな目的は、その集団を守ることであり、それも病気、貧困、死、社会的危機、あるいは戦争などの、基本的に物理的な脅威から守るということだ。

宗教は第1チャクラに根ざしている。これに対し、霊性は、あくまでも個人の体験であり、物質的な世界の恐れを手放して、神なる存在との関係を求めていくことだ
このチャクラの聖なる真理とは、「いまという瞬間に生きよ」というものである

[TOP] <#2012年の黙示録>
(以上、抜粋終了)

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